第11回 カラーテレビ
2006.05.31
琉球新報2006年5月31日朝刊掲載
昔は今のようにテレビ等の電化製品の普及率は低かった。私の家に、白黒テレビがやってきたのは案外早い時期だった。他の電化製品も普通にあった。しかし、世間よりかなり遅く我が家へやってきたものがある。それは“カラーテレビ”である。他の家が殆どカラーテレビに変わっても我が家には小さな白黒テレビしかなかった。故障したら修理して修理して、とうとう買い替え!という時にも白黒テレビを購入した。そのわけは父の考えにある。
染色の仕事をしている父は『色』にはかなり拘っていた。子どもたちがどんなにカラーテレビに変えてほしいと頼み込んでも父は首を縦に振らなかった。父の言い分はこうである
「赤という色一つとってもいろいろな赤がある。自然には微妙に違う赤が存在している。白黒テレビを見ていても頭の中にある色々な色と感じてゆけば記憶の中では総天然色になっている。それを造られた色ばかりを目を通して無防備に脳に入れて行けば「色」に対しての感性が鈍って行く。白黒テレビの中に総天然色の色を想像(創造)して行くほうがいいのだ。あの色は偽者だよ」姉たちは猛反発した。猛反発しても父は譲らなかった。しかし不思議なことに、子どもの頃観た白黒の映像は大人になった今全て『カラー』で思い出す。
父は高い学歴は無いけれど感性が豊かな人だった。自然から学べばいろいろなことが解かる。自然は大きな教室だと言っていた。国際通りに家があるけれど「都会では子どもは育たない」といって時間を見つけては山原や海辺へ連れて行ってくれた。女ばかりの子どもたちへ「これからは男とか女とか無いよ。手に職を持ちなさい。感性を磨きなさい。趣味を持ちなさい。自分を育てなさい」明治生まれとも思えない新しい人だった。愛しい子どもが「どの家もカラーテレビだよ。お父さんは遅れている」と嘆いても子どもの感性を摘み取らないことに徹底していた。明治気質の頑固さは凛としていた。子どもの「ほしい」に自説を曲げなかった父。
安易に子どもの要求に応えることが本当に優しい親なのかどうか、 バランスを試される。