第5回 一輪車
2006.02.20
琉球新報2006年2月20日朝刊掲載
娘が小学校低学年の時、一輪車の練習を友だち6人と始めた。放課後宿題を済ませ、お向かいの児童館へレッツゴー!友達が一人二人と一輪車が乗れるようになった話と青あざを見せてくれるのが日課となった。
ある日、娘が泣きながら帰ってきた「自転車にも乗れないから一輪車は無理だって皆がいじめる」ということらしい。「自転車に乗れないから少し時間がかかるかも」と私。「母さんまで!ヒドイ」と更に泣きじゃくる。「だって、自転車に乗れないのは事実でしょう。」と問うと「うん!」と小さくうなずいた。「事実は受け止めるしかないよ。でも練習しないで一輪車に乗れる人っていないと思う。生まれて最初から歩ける赤ちゃんを見たことある?」と私。娘は「ううん」と更に小さく首を振る。
1才前後の赤ちゃんは立てたことに喜び、しりもちついても尚も歩こうとする。「頑張ろう」とは思っていないはず。「歩かねば!」なんて思っていないはず。「月齢が低いあの子が先に歩けたから恥ずかしい。絶対歩けるようになるぞぉ」なんて思っちゃいない。ただただ歩けることが歩くことが楽しくて仕方ない。転んでもしりもちついてもただただ歩きたいだけなんだと話した後、「で、どうしたいの?皆がいじめる~って泣いておく?一輪車に乗りたい気持ちある?辞める選択肢だってあるよ。母さんだって一輪車乗れないし。」と問いかけた。
幼い頃から保育園の中で赤ちゃんたちと一緒に育った娘は、暫く沈黙し「そうだよ、たっちゃんだっていつもしりもちついてもニコニコしながら歩く練習してたし。よし!」と言って児童館へ走って行った。もちろんその後、毎日の楽しい苦しい練習の結果、一輪車を乗りこなせるようになり、その秋の保育園&学童の運動会のときは6人全員で「一輪車」を使った演技を自分たちで構成し保護者へ披露してくれた。
拍手喝さいの輪の中で6人全員達成感と喜びで輝いていた。
「最初から歩ける赤ちゃんはいないよ」の声かけに「だって」「でも」「そりゃそうだけど」なんて否定語は一切浮かばなかったピュアな心をいつまでも持ち続けてくれることを願う母です。