第13回 十人十色
2006.06.23
琉球新報2006年6月23日朝刊掲載
学童のYとGは、大の仲良し二人で「紙で国旗を造ろう」と意気投合した。しかし突然喧嘩が始まった。「Yが俺の紙を側から取り上げる」「Gは紙の使い方がもったいない」それぞれ喧嘩の原因を話し始めた。当然だけど自分の立場からだけの発言だ。Yは「白い紙はもったいないからスーパーのチラシを使ってほしい」と主張。でもGは「白い紙でないと色が塗れないから白い紙がほしい」。
そのやり取りを暫く聞いていた私はある事柄に気づいた。紙の節約でチラシを使ったほうがいい!と主張しているY自身も白い紙を使っているのだ。その矛盾を訊ねてみると「(“節約”は、問題のすり替えで)実は自分ひとりで白い紙全部を使いたかった」がYの本音。Yにはもう一つ言い分があった。「Gは紙を小さく切ってるから大きな紙はいらないでしょう。」するとGは「後でくっつけて切った紙は全部使うからこれで良い」と反論した。
「自分のやり方で造ってみれば?」私の意見を受け入れたYとGは和解し、それぞれの国旗を造り始めた。その後二人を見ていると喧嘩の原因がわかった。YはA3の紙いっぱい使って大きな日の丸を一枚だけ作った。GはA3の紙を小さく切り分けてたくさんの国の国旗を作った。「自分が思う国旗でいいんだよ!ね」と二人は自分も認め、相手の違う感性にもエールを送っていた。
子どもは喧嘩の後共通点や違いを瞬時に受け入れる能力が備わっていると思う。大人の仲裁はほどほどでいい。失敗や意見の違いも立派な「学びの道具」だ。マニュアルなんか無いに等しい。響きあう感性でちょうど良い加減を見つけあえるはずだと思う。大人の目線で「良い子」という言葉でひとつにくくり、喜怒哀楽を封印していることに危機感を覚える。
私自身、日常出会う様々な出来事から「違いを楽しむ、同じを楽しむ」ことを見つめていきたい。(仲々難しい・・・)
半年間、書くことで自分自身と対峙することの大事さを改めて感じた。十人十色という意味が机上の空論にならないよう向きあい続けたい。稚拙な文章でも読んで下さり感謝しています。