第8回 不安の中身
2006.04.17
琉球新報2006年4月17日朝刊掲載
4月は新入園児がママを探して泣いている。私たち大人が「大丈夫だよ。心配しないで」と抱っこしていても不安で不安でたまらない様子!“知らないおばさん”から“大好きな大人”になってもらえるように抱っこで寄り添い、安心波動を送る。慣らし保育で暫くの間はママには短時間でお迎えしてもらっている。
自分が幼い頃のことを思い出した。とてもナチブーで怖がりで小心者だった。予防接種の副作用で高熱を出し一ヶ月も休んで幼稚園卒園式に出られなかった私は、小学校入学式で「幼稚園を卒園しなかったから小学生にはなれないはず」と小さい心を痛めていた。入学式が終わり教室へと移動することになった。教室は運動場のすぐ側の一階。教室の前には白いケント紙に新一年生の名前が張り出してあった。「無い!」やっぱり私の名前はありません!「幼稚園を卒園してないからだ!」そう思い込んでいる私は不安で不安で涙が止まらなかった。
私のあまりの動揺に母は握っている手を離すことなく「大丈夫調べようねぇ」とやさしく言った。と側にいた人が「ここは一組さんだけですよ。ここに名前が載っていなければ、他のクラスにありますよ」と声をかけてくれた。母は「ありがとうございます」深々とと頭を下げ隣のクラスへ私の手をひいた。2組にも無い。3組にも無い。気の弱い私は「幼稚園卒園してないから絶対に無い」と変に確信を持っていた。4組の前に立った母は「あった!みーこは4組だよ」と私の名前を指差して言った。「良かった」不安は一瞬に消え、クラスの中へと入ってゆき担任の先生に名札をつけてもらった。
幼稚園の卒園式に病欠したからといって小学校入学を取り消されるわけは無いのに・・・でも小さい身体で幼い心で真剣にそう思い不安を抱えていた一年生だったのです。その不安の中身に誰か気がついたでしょうか。
人の心は見えません。人の心は読めません。寄り添うということが何であるのか?幼かった頃の自分に問いかけ目の前にいるこの子たちを抱きあげ、子どもたちの“今”に寄り添いたいと思っている。握り締めてくれていた母の手のぬくもりは救いでした。