第12回 乗れる乗れる乗れた乗れた
2006.06.08
琉球新報2006年6月8日朝刊掲載
怖がりだけれど好奇心は人一倍。私は「やってみたい」と思ったことは、チャレンジしていた子どもだった。私の母はどちらかというと「守り」の人で「危ない危ない」を口癖としていた。当然「自転車に乗りたい」と訴えても「あんな危ないものはダメ」という答えだけ。5年生の私は「乗りたいなぁ」の気持ちが強くなり抑えられない。今のように子ども用の自転車を誰もが持っている時代ではなかった。
クラスの仲良しのAさんに「みねこちゃん、自転車が乗れるように練習する?」と声をかけられ、放課後決行した。Aさんは家からお父さんの商売道具の配達用自転車を持ち出してきた。ごっつい鉄製の大きな自転車だ。あまりのでかさに圧倒されてすこし退いた。Aさんの「大丈夫!私が後ろからしっかり支えておくから」という力強い言葉と、「乗りたい」という思いが混じり、勇気が湧いて母の目を盗んで“練習”に励んだ。
その時はどうにか乗れるようになった。しかし母の目を盗んでのことなので、自転車が生活の中に入ってきたわけではない。Aさんの自転車は家業の商売道具だし、いつしか自転車に乗ることは、私の脳裏の奥へと収められた。それから9年後の短大時代にやっと本当に自転車が乗れるようになった。北海道の旅の途中で、友人たちの「自転車乗れる?」の質問に「うん」と二つ返事。小学生の時以来自転車を触ったことも無く自信もないのに、つい、ウンと言ってしまった。
旅仲間のNちゃんは民宿のおじさんから自転車を各一台ずつ借りてきた。「乗れるよ」と自己申告した手前、後戻りできない状況。「乗れる乗れる乗れた乗れた」と呪文を唱え、高鳴る心臓を押さえ恐る恐る乗ってみた。助走はかなり長いが“乗れた”一時間も迷走したあと、自信はついた。やってみな!見てみな!上手でなくてもいいじゃん。
こんな精神で落ち穂も書き続けて来た。ヘタクソ文章でも読んで頂いたことへ感謝したい。連載もあと一回でピリオドだ。学びの多い貴重な半年間でした。